3000文字チャレンジ

思い出の8日間「3000文字チャレンジお題【電話】」

2011年3月11日と聞いたら、多くの方がこのキーワードを想像するのではないだろうか。

 

「東日本大震災」

 

その時、私は宮城県にいた。

 

地元が宮城県だし引っ越しなども経験しておらず、ずっと地元民。

 

当時は大学2年生

いや、3月だったし3年生になる時だったかな。

もうすぐ新学期と思いつつも、大学生活なんて半分は「遊び」だと思っていた私はフラフラと仙台駅にいた。

 

厳密にいえば、夜の飲み会まで時間があったから知り合いの人の会社にお邪魔していた。
その会社は知り合い1人しかおらず、所長的なポジションだった為融通が利いた。

ちなみにこの知り合いも、Twitterのオフ会で繋がった人の一人。
Twitterってすごいね。

知り合いとの年齢は親と子くらいの差はあったが、自然と窮屈さは感じなかった。

 

その時突然、ビルが揺れた。

 

テーブルの上に置いてあった湯飲みは割れるし、冷蔵庫は倒れ掛かってるし、壁には亀裂が入っていた。

 

揺れが落ち着いた後、すぐに私と知り合いは外へ出た。

 

外は人だかりで、皆パニック状態だった。

電話が繋がらなくてオロオロしている者
冗談だと思って笑っている者
車が衝突している風景を見て「映画みたい」と言うもの
ただひたすらに家族の安否を心配する者

いろんな人がいた。

 

もちろんその後に、飲み会が開かれることはなかった。

 

私は知り合いに車で送ってもらい、実家へ行った。
幸い実家まではそれほど離れていなかったが、普段なら車で30分もかからないのに3時間くらいかかった。

それほど交通も麻痺していたし、歩道も人でいっぱい。
携帯は繋がらないし、警察や消防もすぐには来ない。

実家が全壊していたらどうしよう。
まだ私の大切なものがあるのに。

と心配していたが、実家に着いてみると特に破損している形跡は見られなかった。

後日分かった事だが、家屋調査の結果「大規模半壊」と診断されお金を貰ったそうだ。
幸い家族で亡くなった者はいなかった為、こういった冗談も言えたのではないだろうか。

 

さて、ここからが問題である。

私は当時、一人暮らしをしていた。
大学生活で一人暮らしという悠々自適な毎日を送っていた。

それが震災により、実家で過ごす事となってしまった。
交通も麻痺しており、一人暮らしのアパートへ戻る用事もなかった為、実家に住んでいた。

ところが、一人暮らしの生活に慣れてしまった為、両親との生活リズムが合わずにストレスが溜まる一方。
更に元々家族とは仲が良くなく、互いにストレスが溜まり会話することがほぼ無くなった。

そこで私は、思い切って一人暮らしのアパートに戻ることにした。

 

交通が麻痺していたとはいえ、安易に戻れると考えていたのだ。

 

だが、現実はそう簡単には行かない。

 

通常戻るには、電車かバスを選択できるが震災の影響で電車はストップしている。
となると必然的にバスで行くこととなる。

バスだと2時間もあれば着くはずだが、実際にかかった時間はおおよそ5時間。

車が通れる道が中々ない為だった。

 

中にはボランティアに行く者
家族の安否を確認しに行く者
県外から来た者

いろんな人がバスに乗っていた。

 

そんな中、ただ一人暮らしのアパートに帰りたいという理由でバスを利用することに、恥ずかしさを覚えた。

 

 

そうこうしているうちにバスが着いた。

実家の周りとはくらべものにならないくらい荒れていた。

私が駅に止めていた原付も、エンジンが全くかからずに砂まみれ。
他の自転車も海水をかぶっていた。

その高さは、私の身長の腰付近までだと推測できた。

 

動かない原付を押し、私が住んでいるアパートへ着いた。

玄関を開けると、部屋はめちゃくちゃになっていた。

トイレットペーパーは落ち
洗濯機は倒れており
冷蔵庫も斜めになっていた。

想定していたことだが、この片付けを自分がしなくちゃならないと思うと正直面倒だった。

 

丸一日かけて片付けが終わった。
当然周りにはスーパーやコンビニなんて便利なものはないし
水も止まっている状態だった。

実家の周りでは缶詰や食料を調達できたので、それで飢えを凌いだ。

幸い電気は通っていた為、パソコンやテレビを付けた。

 

「まほお~の、ことば~で、たのし~い、なかま~が、ぽぽぽぽ~ん」

 

今では落ち着いたが、当時はノイローゼになりそうなくらい聞いた。

テレビを付けていないと情報が入ってこない為、仕方がない。

 

 

 

その日の夜。

また地震が起きた。

起きた私は、携帯とテレビで状況を確認しようとした。

だが、テレビは付かないし携帯の電池は10%

 

また停電していた。

 

こうなると一人ではどうしようも出来ない。
私は玄関を出て、アパートの屋上へ行った。

屋上へ行くと、他の住人が集まっていた。

どうやらみんな同じ気持ちだったようだ。

 

アパートの屋上から街の景色を見る。
周りは真っ暗で、ところどころに赤い光。
街が燃えている。
あそこには人がいるのだろうか。
これほどの赤い光、いくら日本の消防や警察が優秀でも対応しきれない。
かといって助けに行く手段もない。

 

どうすることもできなかった。

 

赤い光は、時間が経ち消えた。

その光を確認し、私は明かりのつかない自室で眠りについた。

 

翌日、私は自分の事しか考えておらず、まずは断水を改善する為に近くの駐車場にペットボトルを持って並んだ。
人間は水が無いと生きていけないし不便と知ったのは、この時だ。
今までの生活がどれだけ安全で贅沢だったかを知った。

 

それと同時に私の身体に変な現象が起きた。

立っているはずなのにフラフラする。

横になるともっとフラフラする。

まるで船酔いの感覚。

揺れている感覚だった。

 

これも後で調べて分かったことだが、当時は「地震酔い」と呼ばれる症状の人が多かったらしい。

地震による揺れが長期間続いたり、余震が続いたりすると起きる症状とのことだ。

 

それでも、実家にいる時よりは楽だった。

 

だが、新たな感情が芽生えた。

 

誰か親しい人と直接話がしたい。

 

大学では数少ない友達はいたが、皆県外から来ており私のアパート付近には知り合いはいなかった。

 

また大きな地震が来たら、次は死ぬかもしれない。

 

そう思った私は、電気が復旧したと同時に、当時仲の良かったネットの友達に相談した。

 

「じゃあ、こっち来る?」

 

友達は答えてくれた。

 

こっちと言っても、その場所は北海道。
しかも震災により交通機関は正常には動いていない。

最短だと飛行機1本で着くが、そう簡単には行かない事は分かっていた。

 

とりあえず私は、高速バスでギリギリまで行ける範囲に行ってみる事にした。

当時どのような経路で行ったかうろ覚えだが、おそらく時間は8時間~10時間くらいかかったと思う。
いや、15時間くらいだったかもしれない。

北海道について、友達に会えたのは夕方か夜だった。

 

その友達は暖かく迎え入れてくれた。

 

一人暮らしをしており、今は時間に余裕があるようだった。

会うのは2回目。

だが、ネットで毎日のように喋っているし、お互い会話が弾んだ。

 

その夜、二人が恋人の関係になるのに時間はかからなかった。

 

北海道に着いてから2日目

 

部屋にはテレビがない。

あるのはパソコンが一台。

 

当時スマートフォンはなく、ガラケーが主流。

そしてパソコンでニコニコ動画を見る。

二人で笑う。

 

面白い動画をまた探す。

そして二人で笑う。

 

ニコニコ動画に飽きたら、お互い身体を求め合う。

そしてお昼を食べる。

またニコニコ動画を見る。

 

その繰り返し。

時間はあっという間だった。

傍から見たら、ダラダラインドアで何もしていないダメなカップルと思われてしまうかもしれない。

 

だが、この時間が私は大好きだった。

 

北海道に着いてから3日目。

 

毎日二人でいる空間。

言葉を交わす時もあれば、無言の時もある。

そんな関係が心地いい。

一緒にご飯を食べる時間。

買い物に出かける時間。

肌を重ねる時間。

 

どの時間も楽しかった。

このままずっとここに住んでしまおうかと思ったくらいだった。

 

北海道に着いて4日目。

 

電話が鳴った。

宛先は、大学の教授からだった。

 

地震が落ち着いたから、安否確認の電話だった。

それと、4日後に大学でゼミのメンバーが集まって近況報告をするから、大学に来いという連絡だった。

 

 

正直めんどくさかった。

大学に戻れば、今の二人の生活が終わる。

だが行かなければ、色々と教授やゼミのメンバーに言われるかもしれない。

 

しかも私は当時、ゼミ長だったので行かないという選択肢は無かった。

 

それからの時間、私は寂しさを埋めるように彼女を抱きしめた。

 

このまま大学を辞めてここに住んでしまおうか。

仕事なら探せばどこかあるはず。

それに地元に帰ったところで、あの地震の後。

地元で就活苦になるのは目に見えてる。

 

その点、北海道であれば求人数は多い。

ここで仕事をしながら彼女と二人で住む。

そして幸せな家庭を築く。

 

それも悪くない。

そう思った。

 

だが、教授に行くと言ってしまった手前、断りの電話を入れるのも億劫だった。

 

自問自答しながら、気づいたら地元へ帰る日になっていた。

 

「また、北海道に行くから」

そういった私は、彼女に別れを告げた。

 

永遠に会えないわけではないけど
ネットでまた喋れるけど
お互いの連絡先を交換してるけど

 

あの時、電話が鳴らなければ私の運命は変わってたかもしれない。

 

 

その後、私は今の嫁と出会い結婚、そして一人の子に恵まれた。

彼女も別の男性と知り合い結婚し、二人の子に恵まれた。

 

 

 

今でも連絡先は互いに交換しているし、近況報告だったり子育てについての相談もしている。

 

お互い家庭を持った身。

下心や恋愛感情は持っていない。

 

 

 

だけど、ふとした時に思う事がある。

 

あの時過ごした二人の時間。

あれは私にとってかけがえのない思い出。

 

 

あなたの作ってくれた料理。

私の吸いかけのタバコを取るあなた。

窓から子供の声に反応するあなた。

 

その一つ一つ、あなたの動作がやんわりと私の心の中に刻まれている。

 

 

スターバックスのキャラメルマキアートを飲みながら、私はそう思った。

あとがき

今回も参加させて頂きました、3000文字チャレンジ。

お題は「電話」でした。

 

先にちょっと言わせて頂くんですが

これ、完全に実話でしかも今でも付き合いのある方とのお話なので、もし相手が不満や消してと言われたら即消すので、ご了承ください。

 

だったら書くなよ!!

まず許可取ってから公開しろよ!!

 

って話なんですけどね笑

 

ふと書きたくなってしまったので、ごめんなさい笑

個人情報とかは極力出さないように気を付けてたつもりですが・・・。

 

おそらく身バレもする可能性が低いと思うんですが。

逆に私の方が身バレする可能性高いかもしれませんね笑

 

ここに書いた事は、第三者の方が呼んだら

「あら?創作かしら?ものがたり??」

みたいに思うかもしれませんが、私にとってはとある人に向けて書いた記事です。

 

そしてその「ある人」にはこの記事を書いたということをアナウンスしません笑

 

いや、言えよ!!!笑

 

って自分でツッコミを入れてしまうんですが、なんか恥ずかしくて言えないんですよね。

 

気付いてくれたらそれはそれで良し。

消してくれって話ならすぐ消す。

気付かなくてもそれはそれで良し。

 

というなんとも自己満足な記事でした。

 

ちなみにこれは、3000文字チャレンジという企画をきっかけに書いてみました。

この企画が無ければ、おそらく書かなかったかもしれません。

 

この場をお借りして御礼申し上げます。

ではまた。